私が生まれた年には、出生数が約186万人余でした。これでも、戦後のベビーブームを超えていませんでした。しかし、2023年の出処数が76万人を割り、婚姻数が47万余組で、離婚数が約18万組余と、将来を担う子供たちの出生数と率が上がりません。これでは、私どもから下の世代でも先輩方の年金原資を支えられないでしょう。年金が確保できませんと、若い人は一生働いていませんと、毎日の生活がままなりませんので、何のために生まれてきたのかを問う原初的疑問も出てきます。私が、最初に印象に残る言葉を聞きましたのは、“人はパンにみに生きるにあらず”でしたので、生まれてきた根拠と生への営みの理解と世の中への疑問でした。
しかしながら、世の中が安定的に落ち着いてきますと、制度が充実する割には、何故か締(し)め付けが大きくなり、日々の生活感に潤(うるお)いを与えてくれません。一度得た権利が何時の間にか既得権になっていたり、嵩じて利権となってしまっています。そして、世の中が平等で不公平感が無いと、助成金や補助金の支出をすることで、“時の政府に頼りなさい”と言わんばかりに、稀(まれ)に金員の給付をしてきます。これは、生老病死一切かかわる監視と管理体制の構築以外の何ものでも無いでしょう。当初、アメリカで言われた「マイナンバー制度」が、国内でも全く当て嵌(は)まるかどうかの議論がなされた経緯も、国会での論戦も十分には報じられていません。高齢者が、ある時期から自己の人生が良かったと回顧できる労働価値の賦与と思い遣りでしょう。