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日常生活の中の宗教について

 今も昔も変わらずに言われるのが、何かしでかしますと“宗教に依存していたから”とか“宗教がさせた”とかの批判を浴びます。特に、決まった宗旨が無い人でも“八百万の神の国”である日本では、何かに寄せられます。ああでもない、こうでもない、と言った批判です。

 しかし、大きな拠り所であっても無くても、何かに、何処かで、引っ掛かることで自分を維持していますから、何が何でもこじつけ無くてもいいのではないかとも思っています。

 日本に限っては、路傍の石にでも“仏”を感じたりする感情の移入がありますから、そうしたこころを磨くことで中庸(ちゅうよう)を得られたらいいなとも思えます。

 ですから、日曜に教会に行くことなども含めて、依存とまではいかなくても、何気なく引き合いに出せる引用語や箱物(はこもの)があることで心強く生活できることが、変わらない日常の生活ということでしょう。

 私に限っても、コンサルの根拠が何(なに)かに、何処(どこ)かで引用語があることを意識しています。