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教員免許持をたない社会人教員とは

 究極は、若い人たちに対する『教育』が全てですから、思想や信条に対する圧迫的意思の介入は、本人を枉げてしまうのではないかと思っています。掲(けい)題(だい)には、色々な意見があって、一概には言えないのでしょうが、思想や信条に対する思い込みは、各人がバラバラに解釈して、自己の思い立ったままに推移して出来上がった考え方の延長にあるものと考えます。

 ですから、他人に強要することではないし、水が砂に沁み込むように入って行けばいいのではないかと考えています。古来より、名望(めいぼう)世家(せいか)は沢山輩出されてきました。孔子や、ソクラテスなどが何を言って、どのような影響を与えてきたかを考えますと、千差万別の捉え方に共鳴します。これは、私どもにとって最高の理解と思いますが、世の中がそのままではありませんから、他人から抹殺される可能性もありますし、いきなり撲殺される可能性もあります。

 自己の意思とはかけ離れたところで何があろうと、一所懸命生きることに情熱を掛けられるような生き方にしたいし、これの一端が教職という手段であり、教員免許という方法論でもあります。しかし、その先にあるモノやコトに対する目的意識をもって何かをしたいと先導することが、後輩や後進への明示的意識の止揚(しよう)と考えますので、資格という基準は必須でしょう。

 その結果が、教員とか教職免状を持った先導者であっても構わないでしょうから、更にその先に許される社会人教員という言葉があってもおかしくはないと考えます。