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私からみた馴染みの薄い古代ギリシアの二人の哲人について

 私自身が、哲学とか思想について馴染みが薄いものですから、たまたま、東京大学名誉教授の桜井万里子氏の著書『歴史学の始まり ヘロドトスとトゥキュディデス』講談社学術文庫)を目にする機会があり、覗(のぞ)いてみました。高校の歴史の教科書にも出てこないような、況(ま)してや大学受験で触れていなくても点数にはならない二人の名前については、深く興味を覚えませんでした。

 ですが、この二人の『歴史学の起源』を想起させたという意味での“歴史観”については、真逆な考え方があるようです。流麗(りゅうれい)な言葉が優先して事実を枉(ま)げても構わないか、飽くまでも事実に即したことを記そうとしたかで、考え方が違っていたようです。しかし、この二人の記した書籍には、後代の私どもにとりましては、遜色のない言葉で飾られているようです。特に、日本には哲学や思想が無いという一部での言われ方が蔓延(はびこ)っていますので、戦いに明けくれた過去から現在までの歴史観や事実がどのように枉げられようと、それなりの面白さがあると私は考えています。特に、“哲学”は固有のモノであって、普遍性を持ちえないものと考えます。何故か、固有の人生観は、余人に当てはまらないからです。これが正に、先に挙げた先駆(せんく)となりました二人の歴史学への理解です。但し、私個人の思い入れですので、普遍的価値は極(ごく)微々(びび)たるものと思っています。