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終わりよければとは

 生きとし生ける全てのモノに対して、誰が一切の責任を負うかと言いましたら、自己以外にはあり得ないという現実です。本当は、裏切られて心が凍ってしまっているかもしれません。また、人生最大の幸福を味わっている最中なのかもしれませんが、幸福の絶頂が悲惨の鳥羽(とば)口(ぐち)であったりしますと、一寸先の人生が何であるかも分かりません。従いまして、「終わりよければ」というのは、一つ一つの区切りとして物事の節目のことを言うのかもそれません。

 誰にも、ほっとするような幸せ感や、悲しみのどん底を味わうことがあるかもしれませんが、来(こ)し方(かた)・行(ゆ)く末(すえ)は『波』ですから、更に大きな不幸が来襲するかも分かりません。次には、幸福の使者がやって来るかも分かりません。

 そのための準備などできはしないのでしょうが、「幸福の予感」とか言って、自分に暗示を掛ける人がいます。そういった人は、常に幸せの入り口を探して、自分が何をすればいいのかを探していますので、他よりもアンテナを高く張っている分、見えていることが多くなりそうです。ですから、渦中にあるひとよりも工夫ができるようです。

 しかし、人生の節目は区切りの良いものばかりではありませんから、中途半端な結末を迎えることもあるでしょう。そうしたときに、自分の所在がはっきりしていましたら、迷うことも、悲嘆にくれることも少ないと思えます。自在に本心を持っていてください。