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責任感とは

 責任感とは、他人が我に求めるものではなく、自己の内心において納得の行く答えを出すことです。これがありませんと、複数の人で成り立っている部署も集合体も存立しないでしょう。だからと言って、これが正しいというモノでもありません。責任感の強いばかりの人の下では仕事がやりづらいので離れていきます。そして、部下も上司も戻ってきません。

 何故なら、本人が浮いていることに気付けないからです。浮くという結果は、廻りが認めていないからでしょう。善悪で言う“善”は誰しもが求めたいものでしょうし、誰に対しても恥ずかしげもなく言えるものでしょうから、廻りが恥ずかしくなってきます。

 生きていくうえで、正義は必要です。しかし、万能ではありません。誤った考え方、過失を犯した行為などは、責められるべき行為結果でしょう。しかし、これに伴う責任感を求めていきましたら、正しい壁に突き当たります。正しい壁というのが理(り)に叶(かな)っているかどうかは分かりません。が、正しいことをして人を追い込むこともあります。ですから、法律は正義ではありませんことを理解すべきでしょう。

 私どもは、無くてはならない正義感を責任感と誤解しています。私の友人に溺れかけた我が子と友人の子を選択肢として友人の子を先にしたがために、我が子を失い、妻を失った人がいました。これは、泣くに泣けません。厳しい現実でしょう。