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信頼される人になれるとは

 道徳の感情は、身近な人、即ち両親やこれに近い人たちから、良いこと、悪いことを区別しながら学んできたようです。「ようです」というのは、はっきりと自覚していなかったというのが正確だからでしょう。確かに、ひとのモノを盗(と)るという行為は、極端な場合、殺人にまで発展することも屡々(しばしば)でしょう。しばらく前のことですが、妻の連れ子の娘に不貞関係を迫ったうえで殺したとか、発達障害の娘を弄んだ親も面識のある人を殺したとか、続報が頻繁に続いてはいないので、はっきりとしたことは分からないのですが、『闇』の部分が報道には耐えないからだと思うのです。報道倫理も報道の自由もありますから、真偽は分かりません。

 人に信頼されることは、短期では困難ですが、長い時間を掛けながら徐々に当人の“誠実さ”とか“裏切らない行動”などが積み重なって行って、初めて当人の確かさに上積みされるものでしょう。これらは、物心ついてから両親や近所の人たちから色々と言われて始めて知る慣習が、道徳であったり、倫理であったりするからでしょう。

 これのためには、相手の予測を裏切らないとか、当該人の言動の信頼性とかになるのでしょうから、本来でしたら一つも取りこぼしがあってはならないモノでしょうが、実際は「上手の手からも、水がこぼれます」から、当人の持って生まれた性格や性分というものが外形的に認められたものであることが肝要と考えます。その人の持つ固有の雰囲気でしょう。