この戦いは、古くて新しい戦いでしょうが、朱熹(しゅき)が生まれて育った時代背景が重要です。金族に領地や人が奪われて自由の無かった漢族の不遇な状況下に育ちましたので、母親を始め身近な女性たちの塗炭の苦しみを抱えたことが彼の原点でしょう。私どもが享受している自由と民主主義の成果は、私たちが獲得したものではありませんが、これを享受するための“想い”は真剣に考えるべきで、獲得できた経緯を視て何故を考えるところに、次代への私どもの役割があることと思っています。私の住んでいる国ではないですが、国体には関心が高いですから。
徳川幕府の政体へも主義が重要な役割を与え、歴代の官学素養の基礎となった朱熹の学問の背景には、自己の育った苦役と忍従は、性格も歪めることになったと理解しています。
私どもの環境は、上下の差はありますが、ある程度の食生活に堪えられる状況があります。しかし、未だに食も満足に取れない家族や、虐待に苦しむ子らがいることも事実です。これらを、押し並(な)べてどのような環境に持っていくかを問うべきでしょう。
官僚組織も政治の組織も、皆が幸福を共有できるという現実が無い限り、政変や転覆はあり得ます。覆すことが全部正しいことではありませんが、自己の満足のためのすり替えが横行していましたら、不満と怨嗟(えんさ)が横行するばかりですので、真剣に取り組むべき諸施策はあるものと思料します。